138号(2000・11・10)

[対文協だより]

*「日ロ友好フォーラム21」総会開く

対「日ロ友好フォーラム21」の2000年度・第3回通常総会が11月2日、永田町の衆議院第2議員会館で櫻内義雄会長ほか役員、会員58名(委任43)が出席して開かれた。総会は午後3時開会、審議に先立ち櫻内会長があいさつに立ち「今回のルシコフ議長を代表とするロシア21世紀委員会の代表を迎えて合同会議を開くことは、両国関係の発展に大きな意義がある。われわれ民間の立場から、森首相の訪問を是非実現するよう、環境整備に一層の努力を果たしたい」と述べた。このあと来賓のロシア連邦大使館のドブロボリスキー臨時代理大使と外務省の森敏光欧亜局審議官がそれぞれあいさつ。三塚博副会長(日ロ協会会長)の議長により議事を進行。

はじめに加藤順一事務局長(対文協常務理事・事務局長)から1999年度の事業報告と決算報告が行われ、次いで渕上貫之監事から同会計監査報告があり、全会一致で承認された。このあと審議に入り、事務局から2000年度事業計画について提案、

①第2回日ロ合同会議「フォーラム2000」の開催、
②「日ロ交流団体ダイレクトリー」改訂版の発行、
③「ロシア21世紀委員会」との連携強化、
④加盟団体間の情報交換、
⑤「フォーラムNEWS]の定期的発行
などについて審議、意見を交わし、事務局案を承認、当面は11月14、15両日開催のロシア21世紀委員会との合同会議「日ロフォーラム2000」に全力をあげることを確認して午後4時5分閉会した。
なお総会に引き続き、来賓として出席の外務省の森審議官が、プーチン大統領来日を含め、最近の日ロ関係の動きについてレクチャーした。


*「日ロフォーラム2000」の日程決まる

ロシア21世紀委員会(議長=ルシコフ・モスクワ市長)と日ロ友好フォーラム21による第2回日ロ合同会議「日ロフォーラム2000」が、11月14、15の両日、永田町の憲政記念館で開催されることが決まった。  ロシア側はルシコフ議長を団長に63名の代表団が来日するほか、在京のロシア人が多数参加する予定。代表団は13日来日、16、17の2日にわたって帰国する。


*対文協研修生来日

対文協対外研修基金による2000年度研修生に決まったロシア国立カバルディノ・バルカル大学(カバルディノ・バルカル共和国ナリチク市)物理学部のムラート・ホコノフ教授は10月18日成田着で来日した。

ホコノフ教授は理論物理学が専門で、今回は東京学芸大学物理学教室(学科長・日高啓晶教授)の新田研究室において新田英雄助教授と共に向こう10ヵ月間、「相対論的電子からの放射と結晶内部でのコヒーレント効果」について共同研究を行う。


*松前会長に叙勲

平成12年秋の叙勲で松前達郎会長(参議院議員・東海大学総長)に国政並びに私学教育の振興に対する功績で勲1等瑞宝章が贈られ、11月7日皇居において天皇陛下から親授された。


*徳間副会長お別れの会

9月20日死去した対文協副会長で徳間書店社長の「故徳間康快お別れの会」が10月16日午後1時から港区の新高輪プリンスホテル「飛天の間」で行われ、政財界をはじめ出版、映画、音楽など各界から3500人が参列、にこやかにほほ笑む遺影の前に献花を行い別れを惜しんだ。

[特集]

ロシアCIS視察「対文協ジャーナリスト代表団」報告
   日本対外文化協会常務理事 平野 裕

「石油に賭けるアゼルバイジャン」

◇米ロ角逐の舞台カスピ海

モスクワでの取材を終えた私達は、アゼルバイジャンの首都バクーに飛んだ。旅客機で約3時間。バクーは緯度にして日本の東北地方と同じだ。冬から夏物に服を着替えても、9月中旬、なお汗ばむ陽気だった。コーカサスのアゼルバイジャンまで足を伸ばしたのは、いまカスピ海の石油をめぐって繰り広げられている米ロの現代版グレート・ゲームの行方を確かめたかったからである。

カスピ海に面したバクー市街のパノラマは、北海道の函館に似て、しかもスケールが大きい。世界最大、日本全土がスッポリとその中に収まってしまうという湖の水面が空と交わる水平線のかなたには何も見えない。海岸通りを歩くと、女性はヴェールも着けずハダも露わで、回教国の感じは全くない。大学生風の女性が数人歩いてきた。ミニスカート、ジーンズ、ワンピースなど思い思いのスタイルで、一様にサングラスをかけていた。私のカメラを意識すると、足早に去って行った。同じような反応を滞在中、幾度か経験した。ちょっと意外だった。国際的な石油ブームがまだ始まっていないのを感じた。街のたたずまいは平穏で、静かだ。9年前の独立以来、アルメニアとの戦乱で100万人の難民を抱え、国内もクーデターが続いたとは思えないほどだった。


◇アリエフ大統領の石油戦略

バクー石油の歴史は古い。19世紀初めのロシアによる併合と共に始まり、1930年代にソ連で「第2バクー」と宣伝されたボルガ・ウラル油田、60年代には西シベリア・チュメニ油田が発見されると、次第に影が薄くなっていった。枯渇した油田と言うイメージが定着していた。ところが9年前、ソ連崩壊後に独立したアゼルバイジャンは石油立国を目指した。アリエフ大統領の国家戦略は石油にすべてを賭けている。94年9月、先進国の國際借款団(コンソーシアム)との間に80億ドルにのぼるカスピ海石油の開発輸出協定を結んだ。英、米、ノルウェー、トルコ、ロシアなど石油関連民間企業8社が参加していた。これを境に、大統領は積極的に東奔西走して石油外交を展開、日本にも98年2月に来て、援助を要請した。その後、日本の企業も参加している。

アリエフ石油戦略は、まずカスピ海は湖ではなく海だと主張して専管水域を周辺5カ国(ロシア、カザフスタン、アゼルバイジャン、トルクメン、イラン)で分割すると、旧ソ連地域のカザフスタン、トルクメンと組んでロシアを経由しない、バクー~グルジア~ジェイハン(トルコ)に出るルートにパイプラインを敷設するという大プロジェクトを打ち出した。この地域に関心をもつ米、西欧諸国が触手を伸ばした。だが、バクー滞在中この野心的なパイプライン建設の実現を疑問視する空気があるのを感じた。


◇バクー石油の埋蔵量は?

肝心のアゼルバイジャンのカスピ海沖合いでの最新技術による試掘が期待した成果をまだ上げていないのだ。BP(英国石油会社)、エクソンモビールなど主要企業は埋蔵量に不安を抱き「経済効果よりもこれは地政学的見地からの政策判断の問題だ」と多額の投資をためらい、最終決定はロシア退潮のあとの真空地帯への勢力圏拡大に関心を寄せる米英政府に押し付ける態度だ。そうなるとすべては11月の米大統領選待ちということになる。ともかく本格的な國際資本の始動にはいたっていないのである。

では、カスピ海のアゼルバイジャン沖には本当に豊富な石油が埋蔵されているのか。国営石油会社の副総裁ホシュバフトさんはそんな疑問を笑いで吹き飛ばしてしまう愉快なオジサンだった。「海底油田の開発は20世紀始めから始まった。アリエフ主導のもとで、各国と20にのぼる契約を結び、97年から試掘を開始した。すべて契約にそって、進んでいる。2020年には石油5千万トン、天然ガス5百億立方米を目標にしている。今年はそれぞれ1400万トン、60億立方米生産した」若い頃から石油一筋40年、叩き上げの専門家は67才。「埋蔵量は大丈夫ですか」という問いに「外国ではアゼルバイジャンの石油はああだ、こうだという学者がいるが、私は他の国のことは言ったことがない。ここには小さな国に必要な天然ガス、石油は十分あると言っている」と私達を煙に巻き、「6千キロのパイプライン計画については?」と畳み掛けると、「今のように石油価格が高騰すれば、反対の声はなくなってしまうよ」と年輪を刻んだ顔をほころばせた。


◇経済は上向きだが、汚職まんえん

いまのところアリエフ石油戦略は成功している。クーデター騒ぎもなく、政局も安定した。与党の新アゼルバイジャン党は議会で安定多数を得て、国民投票で権限を強化したアリエフ大統領は、98年10月選挙で再選を果たした。経済もCIS(独立国家共同体)では第1位の外資導入のお蔭で上向きだ。ナスルラーエフ経済相は「96年に経済危機を脱し、97年からGDP(国内総生産)は年10%の成長を始め、インフレも収束した」といい、マメドフ企業連盟会長は「95年の経済改革以後、22000の企業が民営化され、合弁会社も1500社にのぼる」と次のような数字をあげた。合弁の内訳はトルコ1070、米60、英70、その他イランなど。トルコとの合弁は主に農産物加工、家具製造、商業、レストラン、そしてとくに建設という。

だからアリエフ政権に対する批判勢力は息をひそめているようだ。124議席(ナゴルノカラバフ1議席欠)中に5議席をもつ野党の社会民主党議長アリザデ氏は「アリエフは何もしていない。汚職ははびこり、カラバフ問題は国土の20%をアルメニアに占領されたままだし、貧富の差は激しい」と批判する。大統領一族は後継者と噂される息子のイハン氏(国営石油会社副総裁)を中心にやりたい放題。最近、国家予算(8億ドル)の4分の1に当たる2億ドルのタバコ密輸事件を告発したが、国会は全く反応しなかったと歎く。「国民の平均月収42ドルの国で地方行政官(10万人)に25万ドルのワイロを払う。大統領に忠誠であれば何をしてもかまわないのだ。輸入業者はファミリーとつながり、輸入品の通関は彼らが握り、税官吏もワイロをとる」と批判は止まらなかった。


◇「NATO加入を目指す」

新聞検閲制度は98年8月、西側からの圧力で廃止され、言論、報道の自由は保障されていると地元のロシア語紙「ゼルカロ(かがみ)」の編集幹部は言った。「アリエフ政権の安定度は?」という問いにはこんな例え話で婉曲に答えた。-前回の大統領選挙の前に米国に行き、選挙予想を尋ねられ、答えた。「もし選挙結果を捏造すれば、アリエフ。捏造がなければ、アリエフ」「どうして?」という質問自体がこの国の実情への無知を表している- 言論が自由といっても単純ではないということだろう。政府を批判する記者は徴兵して軍隊にいれることもできる。新聞用紙の輸入許可は税関が、新聞やテレビのライセンスは政府当局が握っている。地方取材に出かけた記者が理由なしに逮捕されたこともある。「外国では仕事、私たちは日々、たたかい」とも言った。

アゼルバイジャンはいま欧州協議会への加入直前まで来ていながら、いまだに果たせないのは同国の政治的な自由への西欧諸国の疑問があるからだ。アリエフ大統領は利害互いに反する周辺諸国との間に巧みなバランス外交で、ロシア、イランとも関係修復をはかってきたが、外務省のハラホフ次官は「ECC、NATOとの関係を積極的に進めており、NATO加入を目指している」と言明した。


◇カムバック狙うロシア

私達が泊ったホテル・インツーリストはソ連時代、外人用の高級ホテルだった。カスピ海に臨む一等地に威風堂々、装飾も凝った建物だが、内部は荒れ果てたままだった。何か異変があって、住人が逃げた跡の様だった。私が割り当てられた部屋に出入りする度にスウィッチをいれると、「パカーン」とシャンデリアの電球が次々に切れた。

だが、国力が落ちて、引き揚げたとはいえ、旧宗主国ロシアはまだ隠然たる影響力を持っている。私達の訪問直前、93年に軍部のクーデターで追われたエリチベイ前大統領が亡くなった。彼は反ロシア、反イランの民族主義運動「人民戦線」のリーダーで、清貧に生きた信念の政治家だったが、1年も持たずに政権は転覆した。その背後にはロシアがナゴルノカラバフ紛争の敵方アルメニアに軍事援助して攻勢をかけさせる一方で、反エリチベイ・クーデターを扇動したといわれる。モスクワにはその人民戦線に追われたソ連崩壊当時の初代大統領ムタリボフ氏が、ロシアに庇護されて、虎視眈々と帰国のチャンスをうかがっている。

プーチン大統領が近くバクーを公式訪問するとの観測も流れていた。ロシアの新聞には「バクーで再びロシア語の声が聞こえる」という見出しで、ロシア菓子が人気を集め、ロシアへのノスタルジアが甦っているという特集も出た。(モスコー・ニューズ 29号)ナゴルノカラバフ紛争の調停を買って出たロシアは、いまでもカスピ海周辺の旧ソ連地域を自国の国益に直結した勢力圏と見なしているのだ。


◇キャラバン・サライの夢の跡

私バクーの城壁に囲まれた旧市街は異国情緒溢れる場所だ。石畳の道はずれにシルクロードの昔、隊商たちが宿泊した旅館、キャラバン・サライがあった。どっしりした石の門をくぐると、中庭が広がり、それを囲むように個室が並ぶ。ラクダをつなぐ金具も中庭の柱に残っていた。インド商人がたむろした地下の酒場もある。バクーは古くから交易の十字路だった。一夜、キャラバン・サライのいちじくの木の下で、ワインとプロフ(ピラフ)やシャシリクを前に、音楽と踊りを見た.薄絹を身にまとい、はげしく腰をくねらせる若い舞姫の姿に魅了され、ロシア人がコーカサスにロマンを求めた心境はこんなものかと勝手な想像に浸った。

カカスピ海の日の出は魂をゆさぶるものがあった。穏やかな波に漂いながら光が一筋の帯 になって足元まで伸びてきた。荘重で感動的な一瞬だった。沖合いでは今日も国際的な各石油会社の油田探査船が試掘の操業を行っているのだろう。「5年後はどうなっているだろうか」昇る太陽に幸運を祈りたい気持ちになった

[ロシアの新聞・雑誌から]

 ◇「10年目のCIS、静かに消滅へ・ロシア、ビザなし移動の合意から脱退」  独立新聞

 ◇「CISの分裂--6ヵ国VS5ヵ国?」  独立新聞

 ◇「国家評議会、第1回幹部会開く。プーチン、知事たちに「気楽さ」と「民主的雰囲気」 を感じさせる」  独立新聞

 ◇「第2回会合は≪国歌のレッスン≫」  セヴォーニヤ紙

 ◇「新しい作品は大作家への不満からの発想」  論拠と事実

 ◇「必修でなくなるロシア文学の授業?」  イズベスチヤ