134号(2000・7・15)

[対文協だより]

*日ロ友好フォーラム21運営委員会開く

日ロ友好フォーラム21の第9回運営委員会が6月19日午前10時30分から、参議院議員会館第2会議室で櫻内義雄会長、伏見康治顧問ほか運営委員、事務局幹事ら24名が出席して開かれた。

冒頭櫻内会長からあいさつがあり、審議に先立って末次一郎運営委員長から「最近の日ロ関係分析」について報告が行われた。この後審議に入り、はじめに加藤順一事務局長から、5月ユジノサハリンスクで行ったロシア21世紀委員会との「サハリン実務協議」の報告が行われ、11月14、15両日千代田区・憲政記念館において第2回合同会議(日ロ・フォーラム2000」を開催することを確認、人事案件では先に死去した黒澤洋・ロシア東欧貿易会会長に代わり高垣佑新会長(東京三菱銀行会長)の副会長就任と、日ロ交流協会から選出運営委員交替の届け出により一樋宥利副会長と木村明生常任理事(青山学院大学教授)の運営委員就任を承認した。なお対文協からは加藤事務局長のほか運営委員の石原萠記監事、平野裕常務理事、事務局幹事の藤井弘専務理事が出席した。

[フォーラム2000合同会議日程]第1日=開会式/合同会議・基調報告(第1政治、第2経済・環境、第3文化・地域交流)/分科会/レセプション。第2日=幹部会議を兼た朝食会/分科会/全体会議(分科会報告・共同声明採択)/閉会式


*日ロ・オーラルヒストリー作業部会

6月17日午後2時から渋谷の対文協事務局で木村明生代表委員ら5名が出席、これまでに行った聞き取り調査第1期分(12名)のまとめと、資料作成についての打ち合わせを行った。音声資料の文字化にあたっては、できるだけ忠実に行うこと、また表記上の問題などが熱心に検討され、各自分担により文字化作業を行い、7月中に持ち寄ることを確認、夕6時すぎ解散した。

なお、97年と98年の2回にわたりインタビューを行った元外交官の片山醇之助さんの追悼を兼ね、ロシア語貴重文献のリプリント出版に後半生を捧げた故人の業績を紹介する海外展の開催についても討議された。(出席者:木村代表、斎藤哲、米重文樹、武田洋平の各委員、事務局・長島七穂)


*尾郷専務理事、モスクワ大学スポーツクラブ名誉会員に

モスクワ大学のスポーツクラブ評議委員会は6月15日、外国人名誉会員に対文協の尾郷良幸専務理事(東海大学理事)を推挙することを決定、このほどモスクワで開かれた第7回モスクワ国際学生野球大会のため訪ロした尾郷専務理事に同評議会のN・グリシャンツェフ委員長からカラフルなディプロマ(名誉会員証)が贈られた。

名誉会員推挙の理由として、松前記念野球場の建設、ロシアでの野球の普及および永年にわたり国際学生野球大会の運営に貢献したことが挙げられ、尾郷氏が35人目の名誉会員である。


*モスクワ国際学生野球大会開く

今年7回目を迎えた「松前記念モスクワ国際学生野球大会」(日本対外文化協会協力)は6月24日から5日間、8チームが参加してモスクワ国立大学・松前重義記念野球場で開催された。参加チームはモスクワ大学、ロシア大学選抜、漢陽大学(韓国)、フランス大学選抜、リトアニア大学選抜および日本から東海大学、創価大学、九州東海大学の8チームで、3グループによる予選リーグを経て、九州東海、漢陽、東海の3チームが決勝トーナメントに進み、東海大学が優勝を決めた。

2日目の25日午後1時から全チームが参加して開会式が行われ、ソドヴィニチイ・モスクワ大学総長、松前達郎・東海大学総長のあいさつの後、松前総長が捕手をサドヴィニチイ総長が打者となり、駐モスクワの丹波實大使による始球式で試合を再開した。なお、当初参加を予定されていた東京大学は都合により出場を取りやめた。

[決勝トーナメント]漢陽14-9九州東海大、東海大5-4漢陽。


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鈴木充顧問  死去

・訃・ 対文協顧問で東海テレビ相談役の鈴木充(たかし)氏が、6月30日午後7時10分、肺炎のため名古屋市の中日病院で死去。91歳。同氏は中日新聞編集局長時代、旧ソ連のモロトフ外相に質問状を送り、「国交回復の用意あり」という書簡による回答を得世界的スクープをもたらすなどソ連・ロシアに深い関心を持ち、東海テレビ会長時代の1987年1月から対文協の顧問に就任、ロシア東欧との放送交流を中心に協会の運営にご尽力をいただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

なお、葬儀・告別式は東海テレビ放送社葬として7月17日午後0時半から千種区の覚王山日泰寺で行われた。

[特集]

「グシンスキー事件の波紋」

ロシア最高検察庁が6月13日、野党色の強い独立テレビをもつ「メディア・モスト」総帥ウラジーミル・グシンスキー氏(注を参照)を国家資産横領の容疑で逮捕、収監したことはロシア国内で言論弾圧と抗議する世論の大きな反発を呼び起こし、これまで順風満帆だったプーチン大統領にとっては初めてのつまずきになったようである。

◇ スキャンダルの教訓―世論の激しい反発

 グシンスキー逮捕と釈放の裏には何があるのか。このスキャンダルの発端と教訓、そして勝者と敗者をすでに語ることができる。

【報復を企む特務機関】

 原因の第1はロシアのエリートたちの各競争グループ間にある敵対関係である。オリガルヒ(新興財閥)は競争相手を罪に陥れるよりもノド元に噛み付こうとする。今度のことも二つのメディア王国の総帥、ベレゾフスキーとグシンスキーの戦いがある段階にきたと見ることが出来る。ベレゾフスキーがライバル逮捕に対して最初に行ったコメントは「自分の仕掛けに(敵が)ひっかかった」ことへの満足の表明であった。彼はグシンスキー氏の釈放を要求する実業家グループのアピールにも署名しなかった。

 スキャンダルに火を付けながら、ベレゾフスキー氏はすぐそれを消しにかかった。反オリガルヒの火の手が自らにも降りかかってくることを悟ったからだろう。それに加えて、一方では治安機関がいかにこの件で深く係わり、不器用に立ち回ったか、他方で<メディア・モスト>がいかに巧みに組織的な防衛をしたかが明らかになる。ベレゾフスキー氏の代弁者、S.ドレンコ氏(ORTテレビ解説者)が、特務機関という風車に挑むドンキホーテ(グシンスキー)に仕えるサンチョ・パンサの役割を演じた。(次項参照)

 原因の第2は過去10年間に屈辱感を鬱積させた特務機関の仕返しである。エリツィン時代、機構の縮小、統合や分割などで痛めつけられた特務機関はかっての巨大な実力と国内での影響力を回復することを望んでいる。国家最高のポストにかってのKGB出身者が坐ったことは、いまや打って出る時期到来と彼らは受け取った。攻撃目標は明らかだ。「不遜な地方のボス共」と「貪欲なオリガルヒたち」である。弾圧を激化させたタイミングも偶然とはいえない。世論の大勢は「鉄腕」に「秩序回復」を期待していた。新政権は人気を維持するためにそうした社会の気運に答える必要に迫られていた。

 10年前に始まった民主革命、そこに生まれたオリガルヒ族は自らの子供たちをバリバリと貪り食い始めた。復古調ムードが漂い始めた。過去にもそんな前例がある。古き良き時代のロシアへの回帰は70年間も引き伸ばされた。1917年の2月革命による民主化は、10月革命までの数ヶ月しか続かなかった。ボルシェビキはその自由な空気を覆し「赤色テロ」を宣言した。この時、最初に首を刎ねられたのは当時のオリガルヒ、工場主や銀行家だった。そして革命戦の後、ソ連という国名のもとに帝政時代の「人民監獄」が復活し、それが70年間も続いた。

 今、90年代の民主革命が中断する時期に入った。エリツィン時代にペシミストたちは「報復と全体主義への復帰」をよく口にした。第1次チェチェン戦争、議会への砲撃やサプチャックら民主派の草分けへの迫害もあった。モスト銀行へのコルジャコフ(大統領警護局長)の襲撃も、「人形劇」への圧力もあった。しかしエリツィン時代の国家全体の方向はリベラルな民主主義であった。しかし、今はどうか。だれかが歴史の歯車を元に戻そうとしている気配が感じられる。ただ望むことは、特務機関が全能という旧体制復活がまた70年間も続かないことである。

【勝ち組と負け組】

 今度のドラマに話を戻そう。だれが得をして、だれが傷ついたか?

 まず敗れたのはプーチン大統領である。「疑わしい贈り物」は海外にいたプーチン大統領にとってもっとも都合が悪い時に届けられた。もし彼が準備段階で知らなかったとすれば、若い、活動的なチームの組織的な未熟さとそれへの過度の信頼という問題が浮上する。そんなに昔のことではない。フルシチョフが休暇中にこともあろうに政治局に「見捨てられた」例がある。ゴルバチョフもフォロスで永遠の虜囚になるところだった。

 だが、われわれの情報ではプーチン大統領は事前に「グシンスキー摘発計画」を知っていた。その計算ではヨーロッパへの最初の訪問という特筆すべき行事が、メディア王の逮捕を援護するはずだった。ところが裏目に出た。プーチン大統領はいつまでも西側報道陣の不愉快な質問にさらされた。核大国のリーダーが自国の検事総長に国際電話もかけられないというのは全くバカバカしい話だった。

 検事局も負け組だ。ロシア国内でもプレスの追及に逃げ回ったウスチノフ検事総長の無力さを知らされた。もし官僚がインタビューを拒否するならば、彼が何も言うことが出来ないということを意味する。ウスチノフに代わってカメラの前に立たされたのは、罪を被った下級官僚の意気消沈した姿だった。この計画の発案者は、ロシアと世界でこんなにまとまった抵抗を受けるとは予期していなかった。今や重要人物へのいかなる同様の権力行使もお決まりの結末にいたる醜悪な茶番劇に終わるだろう。ことわざにある「一度ウソをつけば、信じる者はもういない」である。

 では、勝ったのはだれか?まずロシア社会、(ギリギリのところで、ある一定の期間に)マスメディアの言論の自由と独立の権利擁護に立ち上がった彼らである。

 スキャンダルは「メディア・モスト」社に有利に働き、独立テレビの人気は急上昇した。つまり、同社の広告収入も増えた。逆説的だが、グシンスキー氏も勝ち組である。突然、政治投獄者ナンバー1の大殉教者になり、意気揚揚と釈放され、敵も羨む大成功を収めた。不快で屈辱的な経験ではあったが、自分の味方が多いこと、自らのチームの強さを確かめたことは有益だった。

 最後に言いたいのは、オリガルヒの戦いはまだ終わっていないことだ。噂によれば、新たな、逮捕に至らないにしても(今や、それは以前よりずっとむつかしくなったが)、刑事訴追の準備が、「ユコス」や「ルークオイル」などの有名な石油業界のオリガルヒや中小の地域実業家たちに対して進められているという。その場合、恐ろしい追及が待ち受けている。海外旅行はしないという誓約、釈明の記者会見が設定されたその時間に取り調べの呼び出しが来る。

 そうした戦いの成り行きは想像できる。たとえばクレムリンに対する強力な反対勢力が形成される。これまでも繰り返されてきたように、われわれの前に、いまはお互いに傷を舐めあい、共通の敵を罵っているオリガルヒが再び敵対者同士としてあいまみえる姿を見ることになるだろう。(論拠と事実25号)

◇ 誰が第2代大統領を傷つけたか

○B・ネムツォフ下院副議長(右派連合)

 大統領がこのことを知らなかったといったのは賢明ではない。しかし彼はよく調べるだろう。ウォローシン大統領府長官と検察局のその手下たちがやったことだと思う。それが真実だろう。もしプーチン大統領が善人ぶらないなら、ウォローシンを解任すべきだ。クレムリンと最高検察庁が改革されない限り、国の秩序は戻らない。

○ S・ドレンコ氏(ORTテレビニュース解説者)

 われわれはこの7年間、旧制度が破壊され、ロボットたちをゴミ箱に捨てたと思っていた。ところが彼らはゴミ捨て場から急に動き出し、まるで音楽か、赤外線シグナルに反応したかのように活気づいている。プーチン登場と同時に、全土の武力行使機関が立ち上がり、われわれには聞こえない音楽を聞き、われわれの回りを取巻いている。もしプーチン大統領がさらに沈黙を守るならば、彼らは前進の合図だと受け取るだろう。防衛手段はただ一つ、毎日、毎分、彼らの頭をぶん殴ることだ。もし、彼らがプーチン出現を突撃命令だと読み取るならば、大統領は彼らの頭をどやしつけるのにかなり時間がかかるだろう。制度的に予防措置を講ずるために。

○ E・ヤコブレフ氏(共同新聞編集者)

 プーチン大統領は川の中で水深を足で探っている人に例えられよう。彼は急ぎ過ぎて水の深さが分からなくなっている。グシンスキー事件はその一歩だ。彼はわれわれ皆を脅すために逮捕された。巨大な権威と国際的な結び付きをもつ人物をまず槍玉にあげたのは偶然ではない。このあとは他の者たちだ、ということは想像に難くない。(以上、共同新聞24号)

○ Y・スクラートフ元検事総長

 この問題は私の時代からくすぶっていた。追及が本格化したのは、「メディア・モスト」への政治的圧力と言う狙いと重なっている。これはグシンスキー氏を黙らせる計画の一環だ。なぜ急いだのか?もし100%の証拠があれば事前にその罪状を明らかにしただろう。しかし性急なやり方は疑問が多く、それが政治的な要請に答えた形で実行に移され、一気に全面的な攻勢をかけて来た事を確信させる数々の証拠がある。(この項、セヴォードニャ紙)

注〔グシンスキー氏の略歴〕

1952年生まれ。トゥーラの劇場監督から実業界に入り、1989年モスト商業銀行を起して総裁になり、グループを拡大。現在、「メディア・モスト」株式会社会長、ロシア・ユダヤ人協会会長。ルシコフ・モスクワ市長に近く、国際的にも顔が広い。傘下には独立テレビ(NTV)、ラジオ局「モスクワのこだま」、日刊紙「セヴォードニャ」、週刊誌「イトーギ」など。96年の大統領選ではエリツィン再選を積極的に支持したが、チェチェン戦争では批判的報道が目立ち、またNTVの現代社会を風刺する人形劇は大統領も登場し、その政府批判が人気を集めている。

[ロシアの新聞・雑誌から]

 ◇チェチェン行政長官にカドウィロフ氏 (コムソモリスカヤ・プラウダ 6月21日)

 ◇右派勢力連合とヤブロコの合同成る (独立新聞 6月22日)

 ◇市民は訴える-「どうして貧しいか」 (論拠と事実 23号)

 ◇義務教育12年制は誰のためか (イズベスチヤ 6月14日)

 ◇CIS諸国に対して壁を設けるロシア (イズベスチヤ 6月16、17日)

 ◇CISの終焉-人的つながりの喪失 (イズベスチヤ 6月17日)